2012年01月06日
2012年01月06日
かくれんぼ?
和室のパソコン台の下が、最近のお気に入り このあと、ティッシュペーパーを見つけ、大変なことに… あれ?静かだけどと心配すると、たいていはイタズラをしてますこれも成長ですね
Posted by qdpcimnjgi at
17:09
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2012年01月06日
老々介護
謹 賀 新 年 老々介護其の二(7) この冬の寒さは全国的だったようであるが、京都の冬の寒さは格別だった。私は何年か京都にいたのだが何十年も前のことだから始めて来たのと同じである。それに4月になってもなかなか暖かくならない。妹は、変な奴が入り込んでくるまでは、日中は自分だけの簡単な食事の用意をする以外おおかた何もせずにこたつに入っていて、夜寝るときは電気毛布を使っていたから暖房を殆ど使わないと言っていた。私もエアコンは贅沢だと思っているほうだから我慢した。昼は掃除や何かで身体を動かしているからそれほどでもないが、夜はいわゆる京都の底冷えがきて布団の中にいてもやたらと寒い。その上、妹の家は桂川の近くだから強い風が吹く。その風の中で転ばないように足を踏みて歩いていると、冷たい風が頬に吹き付けて悲しくもないのに涙が出る。東京の私の家も荒川にほど近くて強いので、私は木曽三川の揖斐川の近くで育ったから大きな川に縁があるのかと思ったりする。 私は京都へ来るときセーターの上に半コートふうの厚手のジャンパーを着てきたのだが、昼間家の中にいるときもそのままでいて、夜寝るときはその服装の上に毛布と掛け布団をかけて寝ていた。冗談ではなく本当の話である。東京から送った荷物に、もうすぐ春だからと思って電気毛布を入れなかったのが失敗だった。ひどい風邪をひいてしまったのも京都の寒さのせいだろう。一時はどうなることかと思ったが、元来身体が丈夫にできているらしく、すぐに回復したのは有り難かった。4月の半ばになってやっと寝間着に着替えて寝る気になったがまだまだ寒い。桜がどこかで咲いているはずであるが、桜を見る気分にもならない。 平成22年4月17日(土) 夜、宇治田原のSさんが菊代の治療のことを心配して電話をかけてきた。一つはきちんと通院しているかということ、もう一つはあの医院はあまり親切そうでないからちゃんと治療してもらっているか心配だと言う。一つめの問いには、私が毎週決まった日に行けと言って家を出しているから心配ないと答えて、二つめのはどういうことか聞くと長い話になった。 去年の夏頃嫂さんのところへ行ったら留守で鍵が掛かっていた。たぶん医者だと思ってOクリニックに行き、窓口でKの親戚の者なんですけど来ていますかと訊くと、受付の人は先生に聞きに行ったらしく奥へ行ってすぐに戻ってきて、患者さんのプライヴァシィのことはお答えできませんと言う。むっときてそれじゃここで待たせてもらいますと言って、待合室に座っていたら先生らしい白衣を着た太った人がきて、患者のことは言えないからは帰ってくれというようなことを言う。仕方なく前の駐車場に駐めてあった車の中で待っていた。しばらくすると嫂さんが出てきて、待合室にいた人が、親戚の人が来てたえと教えてくれたと言った。なんぼ偉い先生か知らんけど関係のない他人のほうがずっと親切だと言う。 私は、妹のことで不愉快な思いをしてお気の毒でしたと言い、妹もあの先生は機嫌がいいときはよいが、機嫌が悪いときは無愛想で何も聞く気にもなれない言っていたこと、私も不愉快な思いをしたことがあったことを話し、医者にしろ学校の先生にしろ、先生と言われる種類の人間は人に頭を下げたことがないから、そういうことはよくありますよと言った。だからと言ってあの先生の技量に問題があるわけではないから大丈夫ですと言っておいた。いずれにしても妹のことを心配してくれるのは有り難いことである。 4月19日(月) 夕方「R羽束師」のI 管理者から電話。支援センターでの会議が終わったとのこと。警察や民生委員の人も出席していたと言う。明日(20日)午後2時から妹さんのデイサービスについて打ち合わせしたいと言うので、勿論妹を連れて行くと返事しておいた。 4月20日(火) 朝、支援センターに電話をすると、Tさんが不在で、最初に行ったときに会ったもう一人のケアマネジャーが会議の模様を要領よく話してくれた。住宅の役員が団地には一人暮らしの老人が多いからみんなで注意するようにしたいと言っていたこと、民生委員の人が家を訪問したときサングラスをかけた男の人が出てきたので同居しているらしいと感じたが、個人情報だからと思って黙っていたことのほか、「R」のIさんと警察官との間でこんな質疑応答があったと言う。 施設の職員が通所者の自宅を訪問したときに、入り込みと見られる男がいたらどう対処したらよいかという質問に対して、警察官は、既に被害届が提出されている場合は即110番してもらうこと、被害届が提出されていない場合は、職員の方から闖入者を説得してもらうことになると答えたと言う。私はこの話を聞いて、一般論としてはそうだろうと思ったが、妹の場合は被害届を提出してあるのだから、まだ警察署から管轄の交番に通知がきていないに違いないと思った。がっかりするよりもやはりそうかという感じだった。警察もたくさんの事件を抱えているから、こんな小さな事件は後回しだろうと思っていたからである。しかし支援センターには会議を開いてくれたことについて丁重に礼を言っておいた。 私は民生委員、住宅の役員、交番のおまわりさんらが妹のことについて情報を知り、あの家にはこういう問題があるという関心を持ってくれればそれだけでも効果はゼロではないと思った。団地に噂も広がり、「周囲の目」ができるだろうから、少なくとも今後 A や M が妹に近付くことは防げるはずだと思った。そうでなければ、これから妹を施設に入れるために施設回りをしようと思っているのにうかうか外出もできない。 午後 2 時に妹をつれて「R 羽束師」へ行った。デイサービスの申し込みである。施設側は、前に家へ来たのと同じメンバーだった。介護サービスを受けることは、名古屋で継母の世話をしたときに経験ずみであるが、手続きが結構面倒である。重要事項の説明というのを受け、利用契約を読んで契約ということになるが、文書が長いから説明も長い。しかしいずれも役所の認可を受けて定型化されているはすであるから、私はのんびり聞いていた。それでも印刷された文書の誤りを一カ所見つけたのは長年の習性なのだろう。書類ごとに本人と家族の氏名本籍地住所などを書く欄があるから字を書くのがおっくうな人には面倒だが、高齢者のそういう人には氏名を除いて施設側で記入してくれる。 最初の面接のときと前後 2 回この 4 人の方といろいろ話をしたが、このうち二人はふだん介護の現場で働いていると言う。いずれも態度のやさしい、感じのよい人たちである。介護施設では希に職員が入所者に暴行を働いたということが報じられることがあるが、ああいうことは例外中の例外だろう。施設で働く人の待遇は恵まれていないと言われるが、聖職者のように献身的にお年寄りや障害者のために尽すことができるのは天性の優しさを備えている人たちなのだろうと思う。私などには到底できないことである。 契約が済むと、施設側で本人に対するケアプランを作成して手渡され、それを承認したらまた捺印して出すことになっている。ケアプランは毎月作成し、実施報告書も毎月送られてくる。国民の掛金や税金を投入している事業だからいろいろな手続きがある。 デイサ-ビスは施設側で送迎することが原則ですがと言われたが、歩いて15分ぐらいの距離だから運動のために歩かせますと言って断った。私が毎日が日曜になった時期に、急に全く歩かなくなったものだから、足の筋肉が固くなって脊柱管狭窄症というのにかかり、痛くて長く歩くことができなくなった。手術をせずにマッサージ療法で何年もかかって治したが、それで歩くことの大切さを知り、妹にも歩かせることにしたわけである。私は幸いなことに京都へ行った頃は完治していて、妹の世話をすることができたが、老々介護に限らず介護にいちばん大切なことは、介護するほうが健康を害して共倒れにならないことである。 平成24年1月6日 東京都 R・F
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05:01
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